やっと形が見えてきたカタマランヨット
ハルだけを作るのに2年と1000万円を費やしたことが、後々、計画が絵に描いた餅になる元凶であった。ハルの上でデッキのザル(オス型)を作るのに、設計図を無視し、まずコンパネでバルクヘッドの原型を作る必要があったので、これまた2年を要してしまった。この時点で4年は経過していた。
小屋の前に出して、ことの大きさに自分ながら驚いた。小屋の中では全体像が分からなかったが、やっぱり大きかった。この時点で、どうして西宮まで運ぼうかと考え出さずを得なかった。よく見に来た知り合いは、「どうして運ぶ」と言って、運び出すことが不可能と言いたげであった。私は川を利用して海に出る方法しかないと思っていたが、川を利用することは外部には秘密にしていた。
クレーン屋さんの敷地は広く、何をするのも困らなかった。
デッキの内側の内皮を作るため、デッキを裏返す工程に入ることになった。5メートルのパイプをちょうど中心になるキャビン部に通し、クレーンで引き上げることから一か八かの挑戦が始まった。よくクレーン屋の社長は、この作業を引き受けてくれたと思った。ハルから離れる際のバリバリと言う音、次どうなるかという不安感は、20年以上経った今も鮮明に覚えている。
当時、この工程の困難さを考慮せず、とりあえず、ハルでやったようにデッキの外皮を作ることしか頭になかった。しかし、外皮だけしっかりできても、内皮がないとサンドウィッチ構造にならず、ただの積層分だけの強度で、それを裏返し、内側を積層するのは多くのリスクがあった。幅を7メートルに設計変更したのも危険因子の一つで、幅7メートル、長さ12メートルのペラペラしたものを空中で裏返すのは技術が要ったと思う。クレーン屋さんの敷地の一角を借りて自作していたのは、この工程をお願いするのに幸運極まりなかった。しかし、作業代の請求金額を見て、請求額は当たり前であるが、支払いを思うと気が重たくなった。
裏返しがうまく行ったのを喜ぶのもつかの間、また、裏返したデッキを小屋の中に入れるのに四苦八苦した。さらに、その後内皮をハル前の工程で、いかに裏返しのデッキがハルに合うよう原型に戻すか、1か月以上、試行錯誤を繰り返し、もう後は野となれ山となれとヤケクソになり、内皮い取り掛かったのを覚えている。
ハルは、デッキができるまで外で置かしてもらうことになったが、また、この土地の借地料が発生し半年は頭を悩ませた。
この後、内皮ができたデッキを、また外に出してハルに乗せる工程があった。デッキはまた、クレーンで裏返さなければならなかった。感心したのは、クレーン屋さんの社長の腕で、裏返したデッキを寸分違わずハルの上に乗せたことであった。したがって我々は何の微調整もすることなく、また4トントラックに乗せ、そのまま、小屋に入れた。