カタマランヨット「開成」は構想から10年も(1)

1980年代、ヨットマンは大きなヨットにあこがれ、自作ブームもあった。

1989年の冬、オーストラリアから送られてきた40フィートカタマランヨットの設計図を持って、雪の降る中、兄と二人、鈴鹿峠を越えて名古屋のミヨシコーポレーションの伊藤氏に自作についてのアドバイスを頂くため向かった。
伊藤氏はアメリカでボートビルダーをされていたこと、そしてFRPを使ったサンドイッチ構造のボートを数多く手がけてこられたこと、また、アメリカの自作ヨットについても造詣が深いとヨット雑誌「KAZI」の記事で知っていた。
私と兄は以前も、32フィートヨットを半自作(ハルとデッキを買ってヨットを作る)で10年前に作っていたので、ヨットを自作することはそう簡単ではないことは知っていた。しかし、ヨットを作って10経過していて、ヨットを作りたいとの自作虫がちょうど動き出していた。
40フィートのカタマランを作るのは、資金、自作時間、そして情熱が続かないと完成しない。伊藤氏の最初のアドバイスは、1970年当時、アメリカではヨットの自作ブームがあったそうで、例として100人の自作者がヨットを作り始めたとすれば、最初、100人のうち50人が自作するため仕事をやめ、そして資金が尽きてくると家庭が崩壊し50人の半数が離婚し25人に、さらに資金が尽きてくると自宅を処分し自作者が集まる公園の森でヨットを作るようになり25人の半数が精神的な病気で自作を諦めるというパターンで、大きなヨットを自作するには、途中でやめることも必要と言われた。自作でヨットを作ると、大概は会社をやめ、したがって資金が尽き、家庭が崩壊し、自宅を処分、やがて精神的な病気で自作を諦る、確かにそう言われると不安になったが、何の裏付けもなく、おれたちは大丈夫と思った。そして設計上のアドバイスを伊藤氏からもらって帰ったのを覚えている。
今も覚えているのは、軍資金として1000万円程度を考えていると告げつとい、伊藤氏は、船体までは大丈夫と言ってくれた。しかし、実際やり始めると、小屋を建てたり、道具を揃えたりの下準備の経費、勧められるまま贅沢な材料を使ったこともあって、船体の半分、ハルだけで、軍資金1000万を使い果してしまった。
あとは、自転車操業のようなもので、お金ができたら材料を買い、お金をヨットに貼り付ける作業を続けた。そしてカタマランヨットは借地の広さもばかにならず、地主への借地料の支払いにも事欠く始末になった。5年で完成させるという計画は、最初の2年で座礁し、見通しのない自作ライフを10年続けることになった。
私、兄、大阪の共同オーナーの3人は、私も公務員であったこと、他の二人も自営業であったので、途中何回かの中断はあったものの、また中途半端な完成であったが離婚、病気等の危機をなんとか乗り越えた。

カタマランヨットは軽量で、しかも剛性が要求される。大型のカスタムボートを作るのには、FRPのサンドウィッチ工法以外ないとアドバイスされた。
デビニセルという心材にFRPで外皮と内皮を張ることで、その厚さのFRP単独のみの積層と同じ強度がでるので、その心材の分だけ、軽量になる。しかも、積層回数も少なく、時間短縮になる工法である。ただ整形に時間と妥協が必要である。

40フィートカタマランのハル・スターン部

スプルースの20ミリ角をできるだけ細かくフレームに張ってザルをつくる。

右のハルをスターン部から見る

ザルにデビニセル#80、20ミリ厚を貼り付け、整形後、この上にナイテックスを・・・

足場マルタで作った小屋の中でヨットの輪郭を作った。そしてザルの上にその当時でも1枚1万以上するデビニセルというスウェーデン製のサンドイッチの芯材を貼り付け、さらに、ミヨシコーポレーショオンの伊藤氏の言うとおり、アメリカ製のナイテックスという高価な造船用のガラス繊維を張り付けた。
外皮ができて、内皮を積層するため、ザルから外し、裏返すことになった。内皮がないのでかなり養生が必要であった。

ザルからハルを抜いたことろ、

外皮が張られ、さらに整形し、水線長下にゲルコートをして、裏返したところ、まだ内皮が・・・

カタマランであったので、これを二回繰り返すことになった。二回目、右舷側のハルは学習効果もあって、いいものになった。

左舷側のハルが形になった瞬間

何とかなったが前途多難を予期した。

外側、外皮が張れたので、裏返し、内側を外皮と同じく、今は高くて買えないナイテックスを惜しげもなく貼り付けた。これをカタマランはハルが2艘なので、この工程を2回繰り返した。そして、ハルとハルをキャビンで連結し、設計図は6メートルであったが、欲が出て7メートルにしてしまった。
ハルを2艘並べ、その間をハルと同じく、デビニセルとナイテックスをビニエステル樹脂で固めた。もうこの段階で2年と1000万円を費やしてしまった。
そして、デッキをそのハルの上で形を作り、まず外側の外皮をハルと同じやり方で作った。しかし、デッキは小屋の中で裏返すことは不可能で一度外に出し、デッキの内側、内皮を張ることになった。

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今度はキャビンとデッキの内皮を張ることになった。クレーン屋さんの4トントラックが借り、小屋から外に出した。

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